1947-12-05 第1回国会 衆議院 国土計画委員会 第33号 網走港は昭和四年築港工事成り、護岸の築設とともに、オホツク海沿岸唯一の商港となりましたが、その目的は主として避難港として修築せられたもので、現在商港施設としては何らの見るべきものがなく、ただ漁業根據地としての施設若干を有するのみで、港湾利用上遺憾の點が多いのみならず、漁業根據地としても、いわゆる河口利用の荷揚場を有するのみで、無尽蔵でと稱せらるるオホツク海の魚田に進出する漁船の増加に伴い、河口内は狭溢 佐々木秀世